焼酎

焼酎を知る

最終更新日:2022年7月31日

焼酎は主に米、芋、麦、そばなどのデンプンを含む原料を麹菌(こうじきん)というカビの一種の働きで糖化、発酵させてできる醪(もろみ)を蒸留して造る日本のお酒です。 日本各地で非常に様々な原料を使った焼酎が造られていますが、麦芽を使うとウイスキーになってしまうし、白樺などの炭でろ過してしまうとウォッカになってしまうため、それらを使用しないことが酒税法で定められています。

アルコール度数

20 〜 25%

※ 酒税法で連続式蒸溜焼酎は36度未満、単式蒸溜焼酎は45度以下と定められており、40度を超える銘柄も存在しますが、20度か25度のものが大半です。

01焼酎の分類

焼酎は蒸留の方法によって大きく「単式蒸留焼酎」と「連続式蒸留焼酎」と「混和焼酎」の3種類に分類されます。

「単式蒸留焼酎」は古くからの蒸留方式である単式蒸留機を使って造る焼酎で、原料の芳香や風味があるのが特徴です。本格焼酎とも呼ばれます。芋焼酎、米焼酎、麦焼酎、そば焼酎、黒糖焼酎、粕取り(酒粕)焼酎や泡盛などがあります。酒税法ではアルコール分が45度以下であることが定められています。

「連続式蒸留焼酎」は近代に入って導入された連続式蒸留機を使って造る焼酎で、単式蒸留と比べて蒸留の過程で原料の成分が取り除かれて、より純粋なアルコールに近づくためクセの少ない飲み口が特徴です。ホワイトリカーとも呼ばれます。酒税法ではアルコール分が36度未満であることが定められています。

「混和焼酎」は単式蒸留と連続式蒸留の焼酎を混ぜた焼酎です。本格焼酎の風味が薄まりマイルドなのが特徴です。

2006年に改正される以前の酒税法では、単式蒸留焼酎を乙類(おつるい)、連続式蒸留焼酎を甲類(こうるい)という名称で分類することが定められていましたが、甲乙は優劣を意味する言葉であるため甲類(連続式)の方が優れていて乙類(単式)が質の悪いという誤解を与えてしまうということが問題視された結果、甲類、乙類という分類は廃止されました。なお、単式蒸留焼酎(旧乙類)が本格焼酎とも呼ばれるのは、乙類が質の悪い焼酎と誤解されないよう1971年の酒税法改正で表示が認められたことに由来しています。

02焼酎の起源と歴史

焼酎の起源は定かではありませんが、10世紀頃のアラビアを起点に世界各地に広まっていった蒸留酒が、いずれかのルートで日本にも伝わったのが今の焼酎になりました。
13〜14世紀頃には、インド、東南アジア、中国、朝鮮で蒸留酒が造られていたようですが、14〜15世紀頃にシャム(現在のタイ)のアユタヤ朝から琉球王国(現在の沖縄)に伝わったのが最初という説が有力です。沖縄の焼酎「泡盛」がタイ米を原料にしていることがそれを物語っています。
焼酎の本場である九州で焼酎が造られるようになったのは16世紀頃で、琉球の泡盛が薩摩藩(鹿児島)に伝わった説、長崎の対馬や壱岐の島に李氏朝鮮から伝わった説、中国や朝鮮と交易していた日本の海賊船(倭寇)から伝わった説など諸説ありますが、同じ時期にそれら複数のルートから伝わった蒸留酒が各地の風土に合わせて改良されて今の焼酎へと洗練されていったのだと思われます。
琉球から薩摩に伝わった初期の焼酎は、泡盛のように米で造っていたようですが、18世紀に薩摩に唐芋(サツマイモ)が伝わり、それを原料にして芋焼酎が生み出されました。18世紀後半の薩摩では芋だけでなく様々な穀類で焼酎を造るようになっていた記録が残っています。
黒糖焼酎は17世紀の初め頃に薩摩藩の奄美諸島でサトウキビから黒糖を造るようになり、それを原料に黒糖焼酎が生み出されました。
麦で造った麦焼酎は長崎の壱岐が発祥の地で、古くから麦作りが盛んだった壱岐に朝鮮から蒸留酒の製造技術が伝わった結果、麦焼酎が生み出されたという説が有力です。
19世後半の明治時代に連続式蒸留器が日本に伝わったことで、連続式蒸留焼酎が大量生産されるようになりました。この焼酎は新式焼酎と呼ばれ、従来の旧式焼酎と区別されました。これが甲類と乙類という呼称に改められ、さらに現在に至ります。

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