ウォッカ

ウォッカ

ウォッカを知る

ウォッカは東欧生まれの蒸留酒(スピリッツ)で、ジン・ラム・テキーラと並んで世界4大スピリッツに数えられています。

基本的には限りなく原料のクセをなくした無色透明の蒸留酒で、成分としては純粋な水とアルコール以外はほとんど含まれていません。

ウォッカの製法の特徴は原料を発酵、蒸留させた後の濾過(ろか)工程にあります。白樺(しらかば)やアカシアなどの活性炭で濾過することで、原料独自の成分を取り除き、純粋なアルコールに仕上げます。また、ウイスキーやブランデーなどのように樽熟成などをせずに、そのまま瓶詰めします。

こういった製造工程を踏むため、最終的に仕上がるウォッカはどれも無色透明でクリアな味となります。そのため何で割っても違和感なく飲むことができ、カクテルのベースとして最適です。

雪で冷やしているウォッカの瓶

もちろんカクテルのベースとしてだけでなく、よく冷やしてストレートやロックで飲むのも良いです。瓶のまま冷凍庫で冷やしてトロトロになったウォッカを飲む(パーシャルショット)のもおすすめです。

無味無臭であることが特徴とされていますが、実際には白樺活性炭ろ過によって生まれる甘みがあります。特によいウォッカにはトロッとした甘みがあると言われます。また、あえて原料由来の微妙な香味を残したり、フルーツや草根木皮で香り付けするタイプも存在します。

原料は多様で麦などの穀物や、サトウキビ、ジャガイモだけでなくブドウなどの果物やミルクなどが使われることもありますが、最終的に仕上がるウォッカはどれも無色透明でクリアな味となります。

 

アルコール度数

40%

※ 度数96%のスピリタスなど中にはアルコール度数が非常に高い製品もありますが、40%前後のものが一般的です。

01ウォッカの種類

ウォッカは大まかに「レギュラー・タイプ」と「フレーバード・ウォッカ」に分類することができます。

レギュラー・タイプ(ピュア・ウォッカ)

ストリチナヤのボトル

無色透明で原料由来の味や香りのクセが無い、一般的なウォッカです。ピュアウォッカとも呼ばれます。 

レギュラー・タイプの中でも原料や製法にこだって高品質や高級であることをうたった「プレミアム・ウォッカ」がひとつのジャンルとして扱われることもあります。

強いアルコール感がありますが、クセがないため飲みやすく、ストレート、オンザロックはもちろん、どんな飲料ともあわせやすく濁らないため、カクテルのベースに適しています。

ロシア産の「ストリチナヤ」「ストロワヤ」「モスコフスカヤ」、スウェーデン産の「アブソルート」、フィンランド産の「フィンランディア」などが有名です。

フレーバード・ウォッカ 

ピュア・ウォッカをベースにレモンやリンゴ、チェリーなどのフルーツや草根木皮などで香りづけをしたり、糖分を加えて飲みやすくしたウォッカです。

つけられた風味を楽しむためにストレートやロックで飲むのが適しています。度数をおさえたい場合はソーダ割りにするのもよいです。

ロシアやバルト海沿岸地域で多く造られていて、ポーランドで造られているバッファロー・グラス入りの「ズブロッカ」やリンゴの葉やブランデーなどを加えて樽熟成させる「スタルカ」が有名です。

02ウォッカの原料とウォッカ戦争

ウォッカの原料にはトウモロコシ、大麦、小麦、ライ麦などの穀物が使われることが多く、これらの穀物が育ちにくい北欧やロシアの一部の寒冷地ではジャガイモを使うこともあります。その他、ブドウなどの果物やミルクが使われることもあります。

このように数あるスピリッツのなかでもウォッカは国や地域によって原料や製造方法が様々で、2000年代初頭にEU(欧州連合)ではウォッカ戦争と言われるウォッカの原料の定義をめぐる論争が起こりました。ポーランドやスウェーデンなど穀物とジャガイモ以外の原料で造ったものはウォッカと認めない派、イギリスやオランダなどサトウキビやブドウなどで造ったものもウォッカと認めるべき派とで数年に渡って議論が続けられました。最終的に2007年12月17日に「原材料を明記することによって、ウォッカと認める」という結論で双方が合意して議論が決着しました。

03ウォッカの製造工程

  1. 原料を加熱して麦芽などを加えることで糖化させます。糖化とは原料に含まれるでんぷんを麦芽などの糖化酵素を使って糖に分解することです。
  2. 糖化した原料に酵母を加えて発酵させます。酵母とは糖分をアルコールなどに分解する働きをする微生物で、この分解のことを発酵といいます。
  3. 発酵液を連続式蒸留器で蒸留してグレーン・スピリッツを造ります。グレーン・スピリッツとは穀物(グレーン)を原料に造ったアルコール度数95%以上のスピリッツ(蒸留酒)のことです。
  4. グレーン・スピリッツに加水して40~60度までアルコール度を下げます。
  5. 度数を整えたスピリッツを白樺かアカシアなどの活性炭で2回以上ろ過します。これにより無色透明になります。この活性炭によるろ過工程はウォッカにとって特に重要で、スピリッツの刺激成分を除去し、軽やかな芳香や甘みを与える効果があります。炭層の性質や長さ、通過速度など、細かい技術が品質の差として現れます。炭との接触が長い方がより高品質に仕上がるとされています。
  6. ろ過した後、すぐに瓶詰めして出荷するか、すぐに瓶詰めしない場合もステンレス・タンクなどほかの物質の臭いなどがつかないタンクで貯蔵管理します。

04ウォッカの起源と歴史

ウォッカの起源 〜 ロシア説とポーランド説

ウォッカの起源には、ポーランド説とロシア説があります。ウォッカという名称自体は15世紀のポーランドの公文書に記録されているのが最古のものですが、12世紀頃にロシアの農民たちがジャガイモなどから作ったウォッカを飲んでいたという説、より古く11〜12世紀頃からポーランドで地酒として飲まれていたという説もあり、20世紀後半には国家間での起源論争となり国際裁判にまでなったほどです。その結果は1982年に国際調停裁判所がウォッカの起源をロシアと認定するに至りました。ロシアが15世紀半ばにウォッカの原型となる蒸留酒を作っていたことを示したのに対して、ポーランドはそれ以前にウォッカを作っていたことを証明できなかったためです。

いずれにしても、ヨーロッパで様々な蒸留酒が飲まれ始めたのと同じ時代に、東欧の地域で飲まれるようになった蒸留酒がウォッカの起源のようです。

当時はこれらの地域にはまだトウモロコシやジャガイモがなかったため、ライ麦で造ったビールやハチミツで造ったミード酒を蒸留したお酒だったと考えられています。

ウォッカの語源

蒸留酒は中世アラブの錬金術師たちによって生み出された薬酒がヨーロッパに伝わり、これは「生命の水」と呼ばれていました。「生命の水」はウイスキー、ブランデー、アクアビットなど様々な蒸留酒へと派生していきました。ウォッカもこれと源流を同じくしており、ロシアではロシア語で「ジィズネンナヤ・ヴァダ(Живительная вода:Zhiznennia Voda)」、ポーランドではラテン語で「アクア・ヴィテ(aqua vitae)」やそれがなまって「オコヴィタ(oko-wita)」とも呼ばれていました。いずれも「生命の水」という意味です。

これがロシアでは単に「ヴァダ(Vada)」(水)と呼ばれるようになり、16世紀イヴァン4世(イワン雷帝)の時代に「ウォッカ(Vodka)」に変化し、またポーランドでも同様にポーランド語で水を表す「ヴォーダ(woda)」に愛着を込めたニュアンスで「ヴートカ(Wodka)」と呼ぶようになったと言われています。

ですが、15世紀頃のポーランドでは飲料としての蒸留酒は「燃やす(ように辛い酒)」という意味で「ゴシャウカ(Gorzalka)」、17〜18世紀頃のロシアでは「燃えるワイン(горящѣе вино:goryashchee vino)」と呼ばれており、ウォッカという言葉自体は薬としての蒸留液を呼ぶ言葉としての意味合いが強いものでした。

1751年のロシアの公文書に飲料としてウォッカの言葉が使用されており、18世紀頃から次第に今と同じ意味でウォッカという言葉が使われるようになったようです。

なお、ウクライナ語でウォッカを指す「ホリールカ(горілка)」はポーランド語のゴシャウカが語源になっているそうです。

 

ウォッカの歴史

ポーランド

8〜9世紀頃にはアラビアから蒸留技術とともに「生命の水(アクア・ヴィテ)」が伝わり、11〜12世紀頃には各地で製造されていたという説があります。

現在見つかっている「ウォッカ」という言葉の最古の記録はポーランドのもので1405年のサンドミエシュ市の裁判所の公文書に記されています。しかし、当時のポーランドで「ウォッカ」と言えば消毒剤や気付け薬のことを指しており、成分としては同じものの飲料としての蒸留酒は「ゴシャウカ」と呼ばれていました。

ポーランドの医師・植物学者シュテファン・ファリミエルツ(Stefan Falimierz)が1534年に出版した著書の中では、ウォッカは生殖能力を高め欲望を呼び起こす薬として紹介されていました。

ポーランドを代表するフレーバード・ウォッカの「ズブロッカ」や「スタルカ」、また「ゴールドワッサー(グダニスカ・ウォッカ)」は16世紀頃が起源です。

ポーランドは世界有数のライ麦生産地で、ポーランドのウォッカ(ヴォトカ)も主原料がライ麦の銘柄が多いです。ポーランドでウォッカの作りが盛んに行われるようになったのは16世紀後半からで、それはちょうどライ麦の生産が盛んになった時期と重なります。

ポーランドの経済学者ヤクブ・カジミエシュ・ハウル(Jakub Kazimierz Haur)が1689年に出版した著書の中では、ライ麦を原料にしたウォッカの製造方法が紹介されています。

 

17世紀半ばに貴族は領地内でのウォッカの製造と販売の独占権を与えられて、大きな利益を得ました。17世紀〜18世紀にかけてヨーロッパ各国やロシアにも輸出され広まっていきました。

ルボミルスカ公爵夫人が18世紀後半に頃にワンツトに設立した蒸溜所は、現在ではポルモス・ワンツト社(Polmos Łańcut)として運営されています。

それまでのウォッカ製造は小規模な家内工業でしたが、1782年にリヴィウに建てられたJ.A.バチェフスキの工場をはじめとして18世紀後半から19世紀前半にかけて本格的な工業生産が始まり、ウォッカは大衆商品化しました。

 

ポーランドのウォッカ原料といえばライ麦の他にジャガイモが主流ですが、ポーランドでのジャガイモ生産は18世紀半ばに始まり、これを原料にしたウォッカ生産は19世紀初頭に始まりました。

19世紀後半には連続式蒸留機やウォッカを透明にろ過する技術などが導入され、現在のウォッカに近いものへと洗練されました。

 

なお国家としてのポーランドは18世紀終わり頃に周辺の3大国(ロシア帝国、プロイセン王国、オーストリア)によって領土を奪われるポーランド分割と呼ばれる出来事が起こり滅亡しています。

その後1世紀余りの時を経て第一次世界大戦中の1918年にポーランド第二共和国として独立しました。

 

1925年にポーランド政府はポルモス(Polmos:Polski Monopol Spirytusowy)という国有企業を設立して、蒸留酒の生産を国有独占化しました。ポルモスは6つの蒸溜所と、蒸溜所で生産された原酒をブレンドして瓶詰めする19社のコンパウンダーで組織されていました。

その後、1939年に第二次世界大戦が勃発しドイツやソ連に侵攻されたポーランド第二共和国は崩壊しますが、第二次世界大戦後の1947年にポーランド人民共和国が成立します。そしてポルモスはこの政府に引き継がれました。

 

ポーランドは1980年代に入って社会主義体制と自由主義勢力との対立が高まり戒厳令が発令されるに至りますが、1980年代後半にソ連がペレストロイカという民主化政策を押し進めた流れの中でポーランドでも議会選挙が行われて民主化勢力が勝利してポーランド人民共和国は最終的に1989年に消滅して現在のポーランド共和国(第三共和国)が誕生しました。

 

その後、ポーランド共和国の政府はポルモスのコンパウンダー全19社と全ブランドを民営化し、現在では非常に多くのウォッカブランドが存在しています。

2013年にはポーランドのウォッカ (ポーリッシュ・ウォッカ)が地理的表示保護の対象となりその定義が規定されました。

 

ロシア

ロシアではウォッカは12世紀頃頃には地酒として造られていたという説がありますが、ロシアに蒸留酒が伝わったのは1386年にジェノバの使節団がブドウを原料にした「アクアヴィータ(命の水)」と呼ばれる蒸留酒をモスクワ大公国に持ち込んだのが最初とされています。これは飲用されず薬として使われました。

1429年に再びジェノバの商人が持ち込み当時の宮廷で試飲されました。また同じ頃、聖職者たちによってイタリアから蒸留酒が輸入されました。

1430年頃にモスクワのクレムリン内のチュドフ修道院のイシドールという修道士が、ウォッカ製造のレシピを作ったという伝説があります。このお酒は「ブレッドワイン(bread wine:パン酒)」と呼ばれ、それ以降ウォッカの工業生産が行われる時代まで数世紀に渡ってモスクワだけで作られました。

1533年は国営の居酒屋が開かれました、その後1590年代にはウォッカをこの民間の飲食店で販売することを禁止して、国営の居酒屋以外で酒税を徴収するようになりました。

 

1716年には醸造業が自由化されて原料の穀物を生産する農家などがお酒を造るようになり、醸造業者も課税されるようになりましたが、エリザヴェータ女帝が18世紀中頃にウォッカの製造・販売権を貴族に限定しました。

ウォッカという言葉が現在の意味で初めて使われたのはエリザヴェータ女帝がウォッカ蒸溜所の所有権を規定した1751年の勅令の中でした。それ以前はウォッカに相当する飲み物は「ブレッドワイン」などと呼ばれており、ウォッカという言葉は薬用アルコールを指す言葉でしたが、この頃から飲用の蒸溜酒もウォッカと呼ばれるようになりました。

醸造権を与えられた貴族はウォッカの製造技術を向上させ、より高品質なウォッカが造られるようになりました。エカチェリーナ2世は1781年に酒税局を設立して国によるウォッカ製造と販売の確保を目指しましたが、貴族が造る高品質なウォッカには対抗できず、国営の居酒屋で売られるウォッカは貴族が造ったウォッカばかりでした。

 

19世紀に入ってナポレオン戦争の影響でロシア経済が壊滅的状況となり、その建て直しのためにアレクサンドル1世は1819年にウォッカ製造を国で独占する強硬策をとりました。貴族はこれに反発して領地内での酒造りを継続しましたが、国は専売を続けました。国によるウォッカ製造・販売の独占によりウォッカは急激に品質低下しました。また酒税による収入を優先して国民の日常的な飲酒習慣の悪化を黙認したことで酔っ払いが蔓延したことも相まって、禁酒運動が起こり過激化しました。そして1863年に種類の製造・販売が自由化され政府による独占は終了しました。

政府の独占終了によりウォッカの価格は急落して、低所得者もウォッカを買えるようになりました。ロシアにとって酒税は変わらず重要な財源で多い時には国家歳入の4割をも占めました。

スミノフのボトル

遡って18世紀の終わりから19世紀はじめ頃に白樺活性炭により不純物を吸着、ろ過する方法が開発されました(1794年に開発されたという情報、1810年に薬剤師のアンドレイ・アルバーノフが発見したという情報がありどちらが真か不明)。1864年にピョートル・アルセニエヴィチ・スミルノフがモスクワに設立した蒸留所では、この白樺活性炭によるろ過を導入して、それまでのものよりクセがないウォッカを造りだしました。スミルノフのウォッカは人気を集め、1886年には皇帝のアレクサンドル3世から皇室御用達の指定を受けるほど上質なものでした。またこの頃に連続式蒸留器が導入されたことで、ニュートラルでクリアな現在のものと同様のウォッカが誕生しました。

 

20世紀に入って国内の飲酒量はいっそう増加し、これによる健康被害を懸念したロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世は酒税が国家財源の3割を占めていたにもかかわらず1914年に禁酒令を出しました。これは第一次世界大戦中のみの限定的なものになるはずでしたが、1917年のロシア革命を挟んでロシア帝国が終焉しソビエト連邦が建国された後の1925年まで続きました。

 

ロシア革命によるロシアの社会主義化に伴って資本の国有化と資本家の弾圧が起こったため、当時スミルノフの経営を継いでいたウラジミール・スミルノフはパリに亡命して社名をスミルノフ(Smilrnov)からフランス風にしたスミノフ(Sminoff)として蒸留所を建ててウォッカの製造を再開しました。同じくロシアからアメリカに亡命したルドルフ・クネットが1933年にアメリカとカナダにおけるスミノフの製造権と商標権を買収し、禁酒法が廃止されたばかりのアメリカのコネチカット州でスミノフの製造を開始しました。さらに1939年にヒューブライン社が製造権と商標権を買収しました。第二次世界大戦後にアメリカで起こったカクテルブームの中でウォッカはカクテルのベースとして一躍人気を集めました。特にヒューブライン社のジョン・マーチンが仕掛けたモスコー・ミュールのプロモーションによりスミノフは売上を伸ばし、世界的なブランドとなりました。

モスコー・ミュール
モスコー・ミュール 

舞台をロシアに戻します。禁酒令が撤廃後のソビエト連邦では勤務中の飲酒が横行するほど多くの国民がウォッカ中毒に陥ったため、連邦最後の指導者だったミハイル・ゴルバチョフは1985年に飲酒・アルコール依存症克服対策を打ち出してウォッカの製造を削減するなど対策を取りました。しかし効果は薄く、かえって密造酒による中毒者が増えたほか、酒税の落ち込みによる財政難などのデメリットが多かったため、間も無くこの対策を撤回することになりました。

1991年にソビエト連邦が崩壊しロシア連邦が成立します。社会的混乱などからロシア人のアルコール依存は一層悪化しましたが、1999年以降のプーチン政権下でロシアは安定的な経済成長により国民の生活は安定して健康志向が強まりました。また夜間の酒類販売やウォッカの広告が禁止されるなどの政策が出され、ウォッカの消費量は急速に激減しました。アルコールの消費量が減っただけでなく、西欧の影響でウォッカよりもビールやワインなどを飲む割合が増えたことも要因です。

現在ではウォッカ生産量はアメリカがロシアを抜いて世界1位となっています。

 

スウェーデン

スウェーデンでのウォッカ造りは15世紀後半から始まりましたが、生産量は多くありませんでした。18世紀に入って生産量が増加し、穀物不足のために生産が禁止されたこともありました。18世紀後半から原料にジャガイモが使われ始めて、19世紀には主流となりました。

19世紀後半に入るとウォッカ生産が工業化されました。世界的に人気の高い「アブソルート・ウォッカ」が誕生したのはこの頃で、1877年にラーズ・オルソン・スミス(Lars Olsson Smith)が酒を蒸留する際に生じる濁りのもとであるフーゼル油を分離する技術を開発して1879年に「ブレンヴィン(brännvin)」という名前で発売したのが始まりでした。

なお、スウェーデンではウォッカにあたる蒸留酒は「ブレンヴィン」と呼ばれていました。これはブランデーと同じ語源で燃えるワイン(バーンワイン)を意味する言葉です。

アブソルートのボトル

19世紀に入るとウォッカをはじめとしたアルコールの消費量が増え、アルコールによる健康被害などが社会問題化して、禁酒運動が盛んになりました。この対策としてスウェーデン政府は1905年にアルコール飲料の販売を独占管理、さらに1917年からブラットシステメット(Bratt System)という配給制が導入されました。具体的には酒の購入時にはあらかじめ配布されたモトボック(motbok)という冊子にスタンプが押され、一定期間に一定量のアルコールしか購入できない決まりとなっていました。禁酒運動の高まりは1922年に禁酒を問う国民投票が行われるに至りましたが、結果は僅差で否決されて禁酒令が出されることはありませんでした。

 

配給制は1955年に廃止されシステムボラーゲット(Systembolaget)という国営の酒屋でモトボックなしでお酒が買えるようになりました。

1958年に「エクスプローラー・ウォッカ」アメリカへの輸出用に造られて、これ以降ブレンヴィンではなくウォッカという名前が使われるようになっていきました。

また1879年に発売された「ブレンヴィン」は1917年に「アブソルート・レント・ブレンヴィン(Absolut Rent Brännvin:絶対的にピュアなブレンヴィン)」と名前を変えていましたが、誕生100年目の1979年に「アブソルート・ウォッカ (Absolut Vodka)」として輸出開始されるとまたたくまに絶大な人気を得て、世界的なメジャーブランドとなりました。

 

1995年のスウェーデンのEU加入後は、飲酒の規制がより緩和されて民間企業によるアルコール飲料の製造・輸入・販売が認められましたが、政府による小売の独占は現在も続いておりアルコール度数3.5%を超えるお酒の販売はシステムボラーゲットだけが行っています。

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